Re:ゼロから始める日本生活 第六章
エアコンをつけないで寝ることが増えてきましたね。皆さんは9月をどのようにお過ごしでしたか。今月はこれといった大きな行事もなかったので、今回は中々書くタイミングがなかった私の事について書こうと思います。いつもと違って短めにまとめてみるので付き合ってやって下さい。
私は南米のペルーという国で生まれました。父は日本人、母はペルー人なので私は日系ペルー人です。2歳の頃日本に来ることになり小学6年生までの間静岡県浜松市で暮らしました。なのでその頃は勿論、スペイン語は初歩的な単語しか知りませんでしたし、ペルーという国のイメージもとても漠然としていました。6年生の途中、不景気や地震の影響から家族全員でペルーへ一旦帰国することになりました。実は初期の段階では数ヶ月行って戻ってくるという話だったのですが、結局定住することになりました。果たして元からそのつもりだったのかどうかは神のみぞ知るところです(親もですけど)。
ペルーへ着いてからは喜怒哀楽色々とありました。新たな言語を習得するのはとても大変でしたし、そのせいで授業についていけない事もありました。しかし日系人学校だったので似たような境遇の友達が出来て皆で切磋琢磨する仲になれました。卒業から7年経った今でも彼らとは連絡取ってますし、日本に来る前は遊びにも行ってました。中3辺りになると、授業にもついていけるようになり、嬉しかったです。自ら日系コミュニティやペルー文化を知るためにイベントに参加したりダンス団体所属したりもしました。ペルーで生活に完全に慣れてくると、自分と同じ思いをしてる子を手伝いたいと思い、短かったですが日本帰国の人が集まる団体のリーダーなども勤めていました。コロナが来て駄目になっちゃいましたが。。。
進路選択の際には、日本いた事の経験を生かしてペルーに貢献したいと考えました。そして得意科目が数学と物理だったこと、絵をかくのが好きだったこと、家族が建築関係に携わっていた事などを踏まえて建築学を学ぶ事にしたのです。人が住む空間をデザインするのは決して簡単ではなかったのですが、私に合っていたようで学んでる間もとても楽しかったです。勿論徹夜の連続でしたけどね。卒業論文を決める前の年日本へ一時観光に来たのですが、その時に地下鉄や地下街を見て「これだあああああ!!!」と、なったのを覚えています(笑)。ペルーの首都では現在新たな地下鉄が計画、建設されており日本で見たものを活かして私並みのアプローチをしたいと思いました。ただ、このテーマには物凄く苦戦しました。なぜならペルーには地下鉄が無く、それについての参考文献や先行研究が一切なかったからです。プロジェクトは無事終えたのですがまだまだ学べる事、研究できる事があると考え、将来ペルーの地下鉄や電車の駅をより良いものに出来るよう修士で更に勉強を続けたいと考えました。そしてその為に私と私の研究の「オリジン」である日本で今大学入試を控えています。
色々端折って書きましたがコレが私の大体の人生です。勿論まだまだ色々ありますが、あたネタに困ったときにでも書こうと思ってますのでよろしくお願いしますね!
それでは皆さんまた来月!!!
※ちなみにアイキャッチの写真は私が卒業設計でデザインした駅です👉👈